小棋記
いくつかのブログで思いつくままに書いてきたことを、整理してお話します。 誰かに話すように書いてみたいと思っています
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勝った勝ったと下駄の音
「勝った勝ったと下駄の音」というのは、落語というより、単に下駄をからかっていったのでしょう。
 囲碁・将棋では使うフレーズですし、雀荘でも聞いたことがある。
 さてN囲碁センターでは、これは”ジイチャン”の専売特許です
 いえ、この先生はそういうことは言いません・・・今気がついたのですが、軽口を叩くのを聞いたことが無いから、その種の表現は無かったのですね・・・少なくとも会話では
 そこのところに拘るには少し訳があるのです
  初めはこの方と碁を打って、猛烈な早碁でヘビースモーカーの楽隠居のジイサマくらいに思っていました。
 いえ今言ったことは全て正しいのですが、その上にまだあったのです
  この先生は今でこそ商売は息子たちに任せて好きな碁を打っていましたが、昔は成田の方で開拓に従事していたことがあるらしい。
 そして物書きでもあったのです。
  経緯は知りませんが、始めた商売が上手く行き息子たちが拡大しているので、生活の方は楽隠居ですが、午前中は地方紙に連載している原稿を書いて、午後は碁会所に出勤?して夕方には引き上げるという規則正しく碁を楽しんでいました。
 住まいから碁会所まで200mも無いから、冬でもカーディガンに下駄というスタイルで現れるのです。
 碁会所はビルの2階にあって、エレベーターはここだけ止まらないので階段を上がってくる・・・この下駄の音が響くのでジイチャンの登場が予告されるのです。
 大変なヘビースモーカーで、いちいちタバコを持って出かけるのは面倒らしく碁会所に「置きタバコ」で缶入りピース(50本入り)とライターがリザーブされています。
  最後の一缶の蓋を開けると、次に来る時に近所のタバコ屋さんに注文してあったものを2,3缶持参するのです。
 昔は禁煙コーナーとか分煙運動のようなものが無かったので、碁席でも吸えたのです。
 もっとも、煙が霧のよう立ち込めるという事は無かったですね、ここは排気などには気を使っていたし、年中窓を開けるようにしていましたから
 ただ、ジイチャンは夢中で碁を打っているときにタバコを吸うので・・・殆ど無意識に近い動作ですから、灰など灰皿からこぼれるのです。
 ひどい時には灰皿に入れる前に自分の膝の上に積もってしまう・・・だからズボンはいつも灰だらけ
 早打ちだから着手は早い・・・そして投げっぷりも良かった。
  悪い碁を何時までも打つことは無かった。
 ところで、何のきっかけか私はジイチャンが作家だということを知りました。
 学生時代に郷土の九十九里を舞台にした動乱事件をかいた本を読んだことがありましたが、それを書いたのがそのジイチャンだったのです。
 秩父事件などに比べたら小さな事件ですが、明治の揺れ動く時代・社会を知りたくてこの本を買って読んだのです。
 その時は、本の中身に興味があったけれど書いた人には興味がなかったのですね、だから初めにジイチャンの名前を聞いても苗字だけですからわからなかったのです。
 何年かして、成田を物語の舞台にした戯曲を書いたのでその時に作家だとわかったのです。
 
 そういうことが皆に知られても、ジイチャンはここではただの碁キチでしたから・・・周りも特別扱いはしませんから反って気楽だったでしょうね。
 碁会所に上がってきて、私などが手が空いていると身振りで・碁盤を指差す・・・懐かしい思い出です。
 晩年ジイチャンの体力が衰えてきて、2階に歩いて上がるのもしんどくなってきた時に
 「好い方法がありますよ」
 「どんな?」
 「まず1会から階までエレベーターで行って、階段を下りる」
 「成る程」などと会話を交わしたことがある。
確かに階段を上る力は不要になりますが、考えてみると下るのも楽ではなかったみたい・・・
 しかしこんな話があって、まもなく帰らぬ人になりました。
  相当な年令だったようですが、私には今でも享年不詳です。
 葬儀が済んで次の日くらいに、ジイチャンの弟さんと打つ機会がありました。
 この方もさすが兄弟・早打ちで棋力もジイチャンと同じくらい。
  明日は東京へ帰るのだそうで、その前の日に供養の対局だったようです。
 私は2局相手をさせて戴きました。
落語みたいな話
 その当時私は30才前後で、妻と娘の3人家族(その後4人になりましたが)で典型的な核家族。
 夫婦とも地方出身者で、高校を出て首都圏の大学に進学して故郷を離れたもの同士で、親戚縁者は近くには皆無。
 学生時代の友人はいるのですが、当然のこと彼らは同年代の人たちです。
 それに人さまざまとはいえ4年間同じような環境で大学生活をして接点があるから、なんとなく共通の下地と言うか認識がある・・・まあそういう付き合いのある人たちです。
 ところが社会へ出ると、友達との付き合いは同窓会的な感じになる。
 勿論日常的に古い友人との付き合いを維持することはあるが、それより、新しく家庭を作って隣近所とのお付き合いが出来るし、何といっても勤め先の人間関係が生じる。
 この場合、私だけであろうか、全く違う出自の人間との関係なのでかなり疲れることもあった。
 この頃の仕事内容から、私は意識的に人付き合い・接する時の自分を変えようと思ったのです。
 当時の仕事は30前の若僧(若僧かどうかは問題?)が職人的な年配者や年令的に15,20才上のパート主婦に指示をする役目だったのです。
 仕事の内容・割り振りを機械的に伝えるだけなら問題は無いけれど、善い仕事を円滑に進めようとすると学生気分が抜け切らない若僧感覚ではダメなんですね。
 学生なら友人との論争になっても、どちらが正しいか徹底的にぶつかり合うことが出来た・・・と言うか、大声で早口で議論したのですが、まず、これが新しい環境では否定されかねないのです。
 (悪口ではなくて)当時の板前さんなどの社会ではそういう理屈のぶつかり合いでは無くて、まづその人間が彼らの仲間と認められるかどうかが問題だったようです。
 変な話ですが、飲み仲間として認められるかどうかが問題です。
  ところが私は一滴も飲めないから大変でした。
 主婦のパートさんにしても、そこでは時間給いくらの仕事ですが、家に帰れば一家の主婦の責任と自負を持っているし、自分より社会経験では相当年配者ですから、頭ごなし的な仕事の進め方は避けなければいけない。
 この時代の私は仕事以前にこういう問題とぶつかっていた。
  そこで自分に課したことは、「ゆっくり話す」「大声を出さず穏やかに話す」「きちんと話を聞く」・・・どれも当たり前のことでしょうね。
 この延長上に今の自分の姿があるような気がします。
  体が大きいし動作が機敏とはいえませんからのんびりとした風貌ですしあまり尖った印象は人に与えてはいないようです。
 
 しかし囲碁の対局のときは、いつも穏やかとは言えません。
 自分で半分は作ってきた外見とは違って、菩薩と夜叉程の差は無いにしても内面では渦巻いています。
 そこが碁の面白さの一つでもあるのでしょうね。

 さて社会に出て新しい環境でいろんな人との出会いがありましたが、碁の方も、碁を打っていなければ出会う確率が少ない方々とも会うことが出来ました。
 そういう方々との印象に残る話をしていきたいと思いますが、まずはFさんとの話です。
 この人はある会社で重役をしていますから、碁会所でなくては・遊びの世界でなくてはお付き合いできないどころか出会いもなかったでしょう。
 この方も相当な碁キチ、当時土曜日は半ドンで午前中仕事で午後には必ず直接碁会所に寄るのです。
 当然食事は済ませていないから近くの中華屋さんから店屋物を取りますが、いつも五目中華ソバ・・・これが定石です。
 さて当時の私と彼とは互い先から向う先くらいの手合いでした。
  年令はFさんのほうが30才は上でしょうから、「若僧何するものぞ」の感じであったろうと思われます。
 さて、その土曜日もそのような対局でです。
  両者譲らず、かなり険しい局面で競り合いが続いていると想像して下さい。
 私が長考して(5分か10分)、次の一手を決めて・・・
  Fさんも五目中華ソバを食べながら考えている・・・
 私が次の一手を打つときには、丼を傍らにおいて彼も盤上に注目している。
 さて私が石を持つのに碁笥に手を伸ばした・・・筈なのに、瞬間指が「熱い!」・・・何とソバのスープの中に指が入った。
 私は顔は盤上に向いたまま指を引っ込め、何気なくハンカチで手を拭いながら、考えをまとめ直す。
 Fさんはというと、彼もまた顔は碁盤に向いたままで、丼と箸を取上げて、アノ私が指を突っ込んだ五目中華ソバをすすっている。
 さて再び私が石を取ろうと手を伸ばすと・・・再度「熱い!」
  またそこに丼があったのです。
 石は3度目の正直で打ちましたが、Fさんは知ってか知らずか・・・お咎めはなかった
 但し、少し離れた碁会所の受付カウンターで席亭の奥さんが腹を抱えていた。
 声を出さ無い様にこらえるのに必死の様子。
  それを目の端で見ながら打ち進めたのだから私も若いのに狸だったかも知れない。
指導碁
 N囲碁センターで幸運の優勝カップを戴いた少し後くらいに、私は初めての指導碁を受けました。
 それまではそこの碁会所の師範である(勿論アマです)K畑さんには打ってもらっていましたが、プロの先生は初めてでした。
 先生のお名前は信田五段という方で、席亭から紹介を受けたのですが、失礼ながらあまり有名ではない。
 つまり各種の新聞棋戦などでは目立つ活躍はしていなかったのだと思います。
 しかし、「囲碁クラブ」ではお見かけした名前だったのでお名前だけは知っていました。
 あの雑誌の後ろの方に、棋士の成績表が一覧表になっていて、そこには全プロ棋士の成績が出ているので、その名前を見たことがあったのです。
 勿論、写真は出ていませんから紹介されなくては分からないので、もしかしたら電車の中で隣に座っても分からないのです。
  その時も「シノダ先生でしょうか」とお名前の読み方を質問して、「ノブタ」と訂正をされたのですから、漢字だけは知っていたと言うことです
 そう、信田先生はプロ棋士というには勝負師的な印象は薄くて、どちらかと言うと高校の先生だと紹介されれば、いかにもそのようなムードがあったと思われました。
 ここまでは、打っていただく前の見てくれだけを思い出して書来ました。
 手合いは席亭の指示で、確か4子だったと思います。
  普通よく言われていたのですが、アマの初段でプロに7子。
   もしこれが”相場”なら3子でも好いのですが、多少・・・いやだいぶインフレなので4子でということなのでしょう。
 その時の置石は確か4子で5子ではなかったと記憶している。
  内容は・・・5子でも好かったような・・・いや、いくつ置いても同じだったかと思う。
 置石が”4つも”あるのに、何もさせて貰えなかったような印象です。
 と言って、先生が何かをしたと言うものではない。
  やはりプロ棋士は強いのです・・・当たり前ですが。
 有名であるか無いかは関係ないのですね、普段打ってもらっているアマの高段者も強いのだけれど、それは将来手が届きそうな感じの強さで、プロの先生は次元が違うような印象を受けました。
 私は、よく定石の本にあるように「かく打つべし」的な気分で立ち向かって・・・きっとどこかで教科書には書いてないような迷路に自分ではまり込んで・・・絵にかいたような玉砕を遂げました。
 先生の講評は覚えていないのですが、特に叱責などは無かったと思います。
 だからと言うのではないのですが、指導碁でのこの形がパターン化されていったのです・・・プロの先生に打っていただくときに、先生相手に気分だけは一歩も引かずに戦いも辞せずと言う打ち方です。
 例が適切かどうか分かりませんが
  マラソンなどで、自分の実力とは関係なくスタートしたら先頭集団についていくというレース展開です。
 だから、必ず途中で息切れして脱落するのですが、前回10キロでバテたのが今日は15キロまで持つかどうかと言うレースをするみたいなものです。
 決してゴールを考えてその時の自分の実力に合ったペースなどは考えない・・・
 マア言い換えれば「身の程知らず」と言うか「・・・蛇を恐れず」と言うか、その後いろいろな先生に100局近く指導碁を打っていただいているけれど、皆そのパターンになっている。
 その最初がこの指導碁だったように思う。
  置石については、今でも思うのですが、プロの先生にとっては普通のアマ相手なら、いくつ置かれてもたいていはこなしてしまうのでは無いかと考えています。
 つまり現実的ではありませんが、プロの先生がもし私相手に勝負碁を打つとしたら井目でもこなしてしまうような感じで、実はそれくらいの棋力差があるのだけれど指導碁では3子とか4子とか・・・それはその時に感じたことでもありますが、今でもそう思っている。

 プロ棋士に打っていただいた2局目は森田道博先生です。
 丁度若手のホープとして頭角を現して来た時期で、先生のお父様が地元の碁会所などをご本人と一緒に回ってこられたのです。
 席亭と話をなされていましたが、せっかく来ていただいたのだから記念に一局と言うことで、私が幸運にも打っていただいたのです。
 内容は始めての指導碁と同じ結果です
  森田先生は口数も少なくどちらかと言うと無愛想な印象(失礼)ですが、恐らく生意気なアマめと思ったことでしょう。
 綺麗に潰されて投了です。
  初めての信田先生には何もさせてもらえませんでした、森田先生には叩き潰された感じです。
 以来指導碁はそういうものだという潜在意識が出来たかも知れません
 
免状は結構高い
 この間のN囲碁センターの話の続きです。
 優勝カップを戴いたのですが、これはかなりの大きさがあって実際は持ち回りと言うか「短期間自宅に持ち帰って家族に自慢してもいいよ」というもの。
 カップの端に長いリボンがついていて、「第一回優勝者」として名前のついている・・・。
 持ってかえって家族に自慢したかったのだけれど、囲碁を理解しない者ばかりなので、持ち帰りませんでした。
 代わりに同じ形のミニサイズのレプリカを貰って帰ったところ、家族はことのほか喜んでくれたので、これでは本物も見せたかったと思ったものです。
 半分は冗談みたいなものですが、カップに県知事の名前が彫られたプレートがついていたのが効いていたようです。
 内容ではなく名前ですね
  ところで、もう一つ優勝の副賞が有りました。
 その大会は碁会所の1周年記念大会ですが、日本棋院支部の大会も兼ねているので、成績優秀者には免状が出ると言うのです。
 但し無料ではなくて、半額でと言うものです。
  そこがミソですね
 表現が悪いのですが、昔流行った「電話での客寄せ」=突然電話がかかってきて「おめでとうございます。このたび抽選で当選です・・・」と言うアレに近い。
 タダでくれるのとは違うのです・・・「この機会だから」とか「半額なら取得しても良いか」と言う気にさせられたと言うのが実情です。
 何だか騙されて買わされたみたいな言い方ですが、今から考えると半分はそんな気がするのです。
 さて大会は3段で出て優勝ですから、4段の免状を支部から申請して、棋院から発行してくれると言うことです。
  初段2段なら多分半額でも有料では貰おうとは思わなかったのですが、4段となると「この際だから」と言う気になってしまった
 さて免状の料金(普通の商品みたいな言い方は多少気が差しますが)
  もし今ならと言うことで、現在の4段免状は63000円となっています。
 当時はもう少し安かったと思うけれど・・・確か40000円くらいだったような記憶(定かではないけれど)
 この半額だと言うのですから、気持ちが動いた。
  妻も「この際だから貰っておいたら?」と言うムードです。
 充分に気持ちが動いた・・・ところに
  実は4段免状は半額だけれど、それは既に3段の免状を持っている場合のこと。
 もし3段の免状が無いのなら、飛び付け免状となるから3段の免状分の料金が必要と言うことでした。
 結局両方合せて7万円くらいが必要だったのです。
  何だか騙された気分ですが、もう「乗りかかった船」と言うか、意地で取得したようなものです。
 これが、今の価格ですと、4段63000円+飛び付け料という規定があってこれが26250円で合計89000円余りとなる。

 さて、私事ですが免状料が予想以上に高かったので、専用の額は買わなかったのです
 プラス1万円程度でしたけれど
  それで額が無いからというか、集合住宅なので飾るところが無くて免状は箱に入ったままなのです。
 あの奉書に墨で書かれた免状はそれなりに立派な物なのですが、30年近く押入れに眠ったままになっている。
  これでは高いお金を出して何のために手に入れたのか分からない。
 せいぜい子供たちにとって「オヤジの形見」だろうか?

 マアお金のことばかりで、我ながら意地汚いような気がしますが
  現在5段なら10万円余り・・・
 先年友人に聞いたところでは6段・飛び付けで20万余りだとか・・・それって少し露骨過ぎないだろうか?
 欲しい人はお金を積んでも欲しいのだから、そういう人の勝手でしょといわれれば一言も無いのだけれど何だか釈然としない。
 更に昔の免状も現在の”インフレ”の影響を受けているような気がする。

  
 
県知事杯
 私の手元に「県知事杯」のカップのレプリカが有ります。
  例えば何年か後に孫でも出来て「爺ちゃんはね」と自慢できるかもしれないし、もしかしたらその頃には「千の風になって飛び回っている」かも知れませんが、「爺さんもやるね」と勘違いしてくれるかもしれない。
 そう確かに県知事杯であることは間違い無い=自分で勝手に注文して作らせたものでは有りません。
 しかしだからといって、県レベルの大会で優勝したわけでもない
 確かに優勝したのですが、この小さなN囲碁センター開設1周年記念大会の優勝です。
 小さな碁会所ですが当時の席亭が妙に政治力があって、A,Bの2クラスのうちAの優勝が「県知事杯」でBが市長杯でした。
 マア、名前を頂いてカップはこちらで用意したのでしょうが、今となっては、モノは確かに県知事の名前が刻まれているのだから、県知事杯に違いない・・・内容はともかく

さて、内実はその程度のものですが、その当時の私としては相当苦労して手に入れたカップでは有ります。
 そう、M囲碁クラブからここN囲碁センターに”移籍?”して半年もたったでしょうか、ここで「開設1周年記念大会」がありました。
 毎度も言いますが、名前が「・・・大会」であって、大きなコンペでは有りません。
 それでもメンバーをA,Bの2クラスに分けてAは3段以上Bは2段以下の2クラスに分かれて行われました。
 段については超インフレです・・・その頃の私で3段でしたから。
  それはともかくAクラスでは6人ずつ2組に分かれて総当りリーグ戦で、上位2名が枠抜けです。
 つまり、予選リーグで5局打つのです。
  そしてABの枠から上がった4名でトーナメントということです

 私にとって、個人的には大掛かりな大会ですから、参加するだけで楽しかったから余計な力みは全く無かったのです。
 精神的なプレッシャーなんていうものは無いし、肉体的にも力みが無かったのです(変な表現ですが・・・)
 というのは、その大会の前日のことです(その日は土曜日)
  仕事は休みだったので一人で家で趣味のクラフトをやっていて・・・
 どうした弾みか手元が狂って、自分で扱っていたカッターナイフを自分の腿に突き立ててしまったのです。
 たいした幅・深さではなかったのですが、これはお医者さんに行かなくてはいけない・・・
 自分で外科を探して、自分で片手で腿を押さえながら車を運転して(マニュアル車です)何とか外科病院に行って手当てをしてもらいました。
  寄り道ついでに
 私は急患のはずなのに、自分では急患だと思い込んでいたのに、受付・治療は来た順をキッチリ守っているのです・・・
 この程度の怪我はたいしたことではないらしいのです、ここ外科病院では・・・
 ですから自分としては必死だったのに、30分は待たされた
  2,3針縫う程度でしたから、病院としてはたいしたことは無かったのでしょう
 そういうことで肉体的ハンデがあったから、大会は「参加できるだけで嬉しい」から全く肩に力が入っていません。
 それに当時としては、私はそのN囲碁センターの客の中では”若手!!”でしたので全くのダークホースでした。
 
 しかも予選リーグの3戦目で1敗したので気楽に打っていたのが良かったみたいで、気がつくと4勝1敗で予選リーグ1位です。
 枠抜けしたのですが予選2位が二人いたのでプレーオフまで有りました。
  朝10時頃から始まったという記憶がある・・・お弁当が出たのだからお昼からではないですね。
 とはいえプレーオフまで入れると6局分の時間を掛けて予選をやって、トーナメントに入った頃には窓の外は薄暗かったのです。
 その後2局打って優勝から3位まで決めたのですから、もしかしたら体力で勝ったかも知れません・・・当時はなんと言っても最も若手でしたから。

 マア手に入れるには個人的には苦労はしていますが、中身は権威とは縁がない・・・しかし知らない人が見れば県知事杯には違いない
 だからいつの日にか部屋の隅に何気なく置いておけば、いつか誰かが気がついて驚くかな?
 家にあるのはレプリカで、これは第1回大会のみで後は持ち回りのカップのみですから、レプリカを貰えたのが良かったのですね。
 それとカップの端についている長いリボン
  「第一回優勝・昭和○○年 誰それ」確かに私の名前があるはずです・・・30年近く経っている・・・まだカップがあるのだろうか?